きまぐれポケットのブログ

「二人の囚人が鉄格子から外を見た。一人は地面のぬかるみを見た。もう一人は星を見た。」これはフレデリック・ラングブリッチさんの『不滅の詩』の一節です。退屈な毎日、不快な出来事。もしかしたら見方を少し変えるだけで新しい発見があるかもしれません。このブログは日常の出来事をちがう角度かみたときの変化を書いていこうかなと思ってます。みてね^ ^

誠に謹んで命名致す!!

 

 

 

ニュートンさんが、木から落ちてきたリンゴを見て、重力に気づいたみたいに、未だ誰も気づいていない力がこの世にはある気がする。

 

その力は現象として日々皆の前に姿をみせているけれど、余りに当たり前すぎて気づかれないのかもしれない。

 

 

電磁波のような人間の五感では捉えられない力は沢山あって、それを新たに見つけようとすれば多大な努力が必要になる。

 

その力の存在を証明するために、起きた現象の大元をたどってそこにはあるんだと仮定したり、

逆に、存在しないことがあり得ないことを証明しようと試みたり。

 

奇麗なユリの根元を掘って目には見えない透明な球根を探すような、奇麗なユリが咲いているんだから根元に球根がないわけがないと宣言するような。

 

そんなこんなで、今に至るまで多くの人が感じることのできない物質や力が発見されているのです。

 

五感で感じることができない力は自分で発見するのは難しいけど、当たり前すぎて気づかない力なら一つぐらい見つかりそうだし、見つけたいなーって思ってる!(笑)

 

 

 

 

 

イェール大学教授のシェリー・ケーガンさんの『死』について書かれた本があります。

 

 

死という現象の本質を検討した本ですが、著書の中で面白いと感じたもの紹介します。

 

 

死がなぜ悪いのか?という問題に対して考察の1つをあげると、

 

 

生きていれば人生を楽しむことができ、素晴らしい物を手に入れる可能性がある。

死んだ後は『私』は存在せず、人生を楽しむ機会を失ってしまう。だから死は悪い。というもの。

 

でも、よく考えると『私』が存在しない時期はもう一つあるのです。

 

そう、生まれる前。

 

生まれる前にも『私』が存在しない時期が無限にあり、人生を楽しむ機会がない点で死んだ後と同じではないのか?

 

 

そこで「生まれる前」と「死んだ後」の時間の価値の違いについて考察されます。

「死んだ後」は人生を失う。つまり喪失がある。

 

では「生まれる前」はどうだろうか。

「生まれる前」は人生を持っていないのだから喪失はあり得ない。でも、言い換えるのならば、後で手に入れるであろう人生をまだ持っていない状態といえる。この状態はある意味では喪失と似ているが別物である。この状態のことを言い表す言葉がないので著者は『シュモス』と名付ける。

 

 

これ凄く面白いなーと思いました。

確かに『後で手に入れるであろう物をまだ持っていない状態』っていうのは現世界ではあり得ないことですよね。

 

『後で手に入れるであろう物をまだ持っていない状態』って、その物を手に入れる未来が確定してるって状態でしょ。タイムマシンができて過去にいけるようなったらそんなことも起きちゃうけど、、、。

 

現世界の常識では、あり得ない現象にまで名前を付けることができるんだ!

と思ってびっくり😲

 

 

 

 それにしても『シュモス』って名前。ちょっと力抜けちゃうよね(笑)

 

 濁点いれたら良くなりそう。『バロス!』とか。ちょっと強すぎちゃうけど。

 

 

 

 

 

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 追伸

今回は『シュモス』だけに触れましたが、シェリー・ケーガンさんの本は死についてホントに深く深く検証していくから、すごく面白い!

面白いけど、複雑だから一回読むだけでは理解できないかもです。

 結果、『死』は良いのか、悪いのか?私たちはどのように死に向き合うべきか。気になる人は読んでみてね(^_-)-☆

いつか、この本の紹介みたいな感じで深く書いてみたいなとか思うけど、もの凄く長くなりそう。気が向いたら書きます😏